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久米正雄の『手品師』より

久米正雄氏…同じ久米でも、元アナウンサーの久米宏さん、ベテラン俳優の久米明さんとは何の関わりもありません。この久米さんは大正から昭和に掛けて活躍した小説家です。漱石門下の一人だったのですが、漱石翁の長女筆子さんとの恋に破れた上に、夏目家を出入り禁止となり、その後通俗小説家に転進し、私小説を至上の散文芸術と論じた方です。自分にはあまり馴染みのない作家でしたが、昨年からしぶとく読んでいる「百年小説」に登場したので、そのプロフィールを眺めていたら、『手品師』と言う作品を書いていることを知り、即刻文芸愛好家からマジック愛好家に変身し、その短編小説をネット上で読んでみました。

『手品師』は大正5年(1916年)に文芸雑誌新思潮に発表された作品だそうです。
所は浅草、興行物を経営している重役と倅の事務員、そして作者自身と思われる若い座附作家との会話が続く…そこへ「新帰朝手品師ジャングル・ジャップ事、江本進一」と印刷された名刺を差出し、入神術が得意との触れ込みの怪しげな男が興行の売込みに訪れる。
私が興味を抱いたのは、手品師江本某ではなく、重役と彼との次の一会話でした。

「実は今チャリネ館には君も知ってるだらうが羽黒天海と云ふ手品師が一人ゐるんだがね」「あゝ、あの骨牌と赤玉のうまい。あれでせう」

骨牌‐は西洋式かるた「トランプ」を指し、赤玉‐は「四つ玉」と思われます。また、この手品師は “天海”の名から直ぐ石田天海師が頭に昇りましたが、師の著書『奇術五十年』によると、大正の初期におきぬ夫人と結婚し、浅草で暮らしていたと書かれてはいるものの、まだトランペットの楽士だった頃で、天勝一座の一員として渡米するのは十年近い先のことです。それでは久米正雄氏が書いた羽黒天海とは一体誰なのでしょう?

三日前に、「ちいさいマジックのおうち」は満5年を迎えました。立ち上げ当時と比べ、一番変わったのは、管理人のいしけんが五つ歳を取ったことでしょうか。この5年間に書いた記事は337件。親方日の丸のJALが破綻しようと、かんばん方式が売りのトヨタ車にリコールが起きようと、バイシクルを自力で漕げる間は田舎のマジック道を走り続けようと思っています。

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by ishiken55 | 2010-02-06 13:52 | マジック エッセイ | Trackback | Comments(0)
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