今年の冬に開催された私の出身クラブの発表会で、今までにない楽しい「ダンシングケーン」の演技を観ました。その演技と、私が39年前にそのクラブで初めて演じた「ダンシングケーン」の演技とを心の中で比べて、“道具、技法、演出”の全てについて、これが同じ演目なのかと思えるほどのあまりにも大きな違いに、時代と共に変遷するマジックの一面を垣間見た思いがしました。
・・その日、T氏が“黒いステッキ”を持って部室に現れました。何かバランスの悪いその“ステッキ”を使い、私とN君、W君の三人を前にして、空中を飛び交う「ダンシングケーン」なるものを、たどたどしいアクションで後輩の私達に演じて見せました。そのころの私達は、スライハンドの道具を除けば“マジック道具は買うものではなく、自分で創るもの”という感覚でしたので、さっそく数週間を掛けて三人はそれぞれ自前の「ダンシングケーン」を製作しクラブに持ち寄りました。
私が製作した道具は、“竹の釣竿”に“黒い毛糸”を巻き、トップに“マジックインキの白いキャップ”を被せ、先端には“白いペンシル”を差し込んだものでした。外観は重厚で自慢の出来だったのですが、重いのが欠点でした。
(最近の軽素材の釣竿を使えば軽いモノができるのでしょうが・・)
その長くて重い「ダンシングケーン」で練習を始めましたが、重いために“細糸”では切れてしまうので“太い木綿糸”を使用しました。それでも振出しに力を入れ過ぎるとよく切れました。また、今の技法と大きく異なる点は、糸を親指に掛けてから掌に一回巻き込み、ケーンの水平を保持する長さにしていたことです。糸が長いので、両腕の親指に掛けての移動や、振出しがダイナミックとなる長所がありましたが、小回りの利いたテンポよい演技には不向きでした。
その年の夏、三越のマジックショップで“明治マギーグルッペ”所属のアルバイト氏と話をしていたら、その人もステージ演目として「ダンシングケーン」に取り組んでいるとのことでした。「君のケーン見せて」と言われ、翌日持って行くと「外見はシックだけど、重いし糸が長いね」と言われ、自分のケーンは世間のモノとはだいぶ異質なのかなあ・・と思ったりもしました。
その年の学園祭は、「四つ玉」、「タンバリン」、そして「ダンシングケーン」が私の演目でした。(この年は出演者四人で1時間の公演でしたので、一人2~3演目の出番がありました)一日2回公演の二日間、合計4回の演技を行なって、私の「ダンシングケーン」は終わりました。
その後、ダンシングケーンを演じたことはありませんし、ダンシングケーンに触ることさえありません。でも若いときの経験というのは不思議なものです。四十年近い昔のことなのに、目を閉じるとそのときの演技手順が今でも蘇ってきます・・そして、あの時の「ダンシングケーン」が“幻”のように現れてくるのです・・。