人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日本初のアマチュア マジシャンズ クラブ誕生迄の…《軌跡》

このブログ《ちいさいマジックのおうち》を始めてからの数年は、一応社会人としての礼儀はギリギリで保ちつつ、好き勝手な記事を書いておりました。しかし、その後東京のマジック クラブ(TAMC)に入会し、会員から言われた訳ではありませんが、徐々に品位を考えつつ…記事を書くようになりました。その分、当初よりご訪問頂いている方は、記事に面白味が無くなったと感じておられると思います。政治家等も、自由人の時の発言には魅力を感じたのに、政党の一員になった途端に、品行方正な面白味の無い常識事しか言わなくなるのは、世の常でありまして~。

さてさて、組織に入ったからには、中途半端でいるよりも、とことん関わってみようと思い、TAMC創立の経緯を二次元的に表してみました。大正10年に出逢った阿部徳蔵氏(アマチュア奇術研究家)と徳川義親氏(当時侯爵)を一つのグループとし、昭和5年に当初はプロ奇術師の松旭斎天洋氏を中心に発足した緒方知三郎氏と福士政一氏(共に医学教授)のもう一つのグループが、一同に会する昭和7年5月の徳川義親邸での集まりは、TAMC発足の Epochであったと考えます。そして、その場に石田天海師夫妻が同席され、この会との…その後の太いパイプが感じ取れます。

《東京アマチュア・マジシャンズ・クラブ(TAMC)誕生迄の軌跡~図表》
《昭和7年5月,徳川義親侯爵邸における集合写真(坂本圭史氏のご提供)》
  ~を下記に添付します。[図表中の文面は敬称略]

阿部徳蔵 / 徳川義親 グループ

緒方知三郎 / 福士政一 グループ

大正

十年

1921

・徳川義親義親侯爵の南方への壮行会に

 阿部徳蔵が招かれ、マジックを披露。

・以後徳川義親と阿部徳蔵の親交始まる。

・徳川義親の知人宅など数々の場所で、

阿部徳蔵が手広くマジックを披露。

・大正12,13,昭和5年に昭和天皇

に招かれてマジックを三度に渡り披露。

・大正1211月関西で震災孤児救済の
 チャリティ‐奇術公演を、5箇所で開催。

・大正135月に東京でアイヌ研究家の
 英国人救済チャリティ‐奇術公演を開催。

昭和

五年

1930

2月松旭斎天洋「天洋奇術研究所」を開設。

 (場所は京橋区新富町 新富ビル3階)

 研究員は福士政一,緒方知三郎,井上充等。

8月場所を三原橋詰榊原ビル4階へ移転。

昭和

六年

1931

1月に会名を「東京奇術倶楽部」に改称。

 会長は肝付兼英、松旭斎天洋は顧問。

 新たに広瀬渉、鈴木幹之助などが加入。

7月に会場を天洋師の私宅とするが・・・。

 その後清水ビルの一室を借り、会の名を

 「東京奇術研究会」として、天洋とは袂別。

・幹事制とし、会場は会員の私宅を持回り。

 新たに、柴田直光,坂本種芳,などが加入。

昭和

七年

1932

5月に徳川義親邸で帰朝されていた石田天海夫妻を招き、家族的試演会が開催される。

 ここには、阿部徳蔵および「東京奇術研究会」の熱心なアマチュア奇術研究家が集合し、

 阿部 / 徳川 グループと、緒方 / 福士 グループの結集の場となったと推測される。

11月に緒方知三郎博士が仕事で外遊をし、欧米のマジックサークルの実態を遍く視察。

昭和

八年

1933

・初秋の927日に、『東京 アマチュア マジシャンズ クラブ(TAMC)』が創立される。
 同日、四谷見附の三河屋で発会式が催され、松旭斎天洋師は来賓として招かれる。
・会長は福士政一、会員は20名程だったようで英国人のP.Eジョイスも含まれている。
・発足当時の集まり(例会)は、毎月第1と第3木曜日に会長宅で開かれていたもよう。
 木曜日であった理由は、会長の福士を始め、緒方、田宮、颯田が、医学会の重鎮で、
 木曜日の午後は通常手術日ではなく、比較的時間の制約がなかったためとか・・・。
 八十数年後の現在も、TAMCの例会日は変わっていない

日本初のアマチュア マジシャンズ クラブ誕生迄の…《軌跡》_c0049409_17565392.jpg

by ishiken55 | 2016-07-10 17:58 | マジック エッセイ | Trackback | Comments(4)
Commented at 2017-05-25 10:07 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ishiken55 at 2017-05-26 09:19
> naoさん
naoさんのご質問に回答致します。
・大正期の箇所は、私が入手した阿部徳蔵の遺品を調べたものと、1971年に坂本種芳氏が監修しTAMC発行の「-阿部徳蔵の横顔-奇術に賭けた人生」がベースになっています。
・昭和期の箇所は、1982年にTAMC創設50年の記念誌「TAMC 50年のあゆみ」がベースになっています。
なお、何故naoさんがTAMCの誕生までの経緯について調べているかに興味を感じます。
Commented at 2017-05-31 21:24 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ishiken55 at 2017-06-03 16:59
naoさんへ
私もTAMCの創立前後の情報を調べる中で、創設に関わられた~緒方智三郎先生、徳川義親元侯爵、坂本種芳氏などが、後年に当時を思い出しながら書かれた文章には思い違いがあることに度々遭遇しました。天洋師の「奇術と私」にも同様な箇所はあろうかと思います。ここに載せた『図表』の改訂版を今年の1月に作成しました。非公開コメントであれば私のみしか見られませんので、お送り先をお知らせくだされば、最新版のお渡しは可能です。
<< 最新の「ハーフダラー六枚」に再... 浅草で「マジック談義とグルメの... >>