『奇術研究38号』にて小休止

この二ヶ月ほど、昭和31年から23年間続いた季刊誌「奇術研究」の1号から順番に、高木重朗氏の寄稿を調査しています。野暮用が無い日に1冊か2冊のペースにつき、現在44号です。折角、古(いにしえ)の書「奇術研究」を繙くので、高木さんの記事だけではなく、全体に目を通しているため、遅々として進まないのは当然と云えます。高木さんの寄稿は、1号から40号までは一冊も途切れることが無く、また30号までは一冊に2つも3つも掲載されていました。そして38号は色々な意味で自分との関係深いので、暫し立ち止まって小休止。

「奇術研究38号」の発行は昭和40年(1965年)10月1日。自分の奇術(マジック)との出会いは前年の師走でしたが、実際にマジック活動に没頭するようになったのは、昭和40年10月の初旬からでした。何故かと云えば、10月末に母校で初めての文化祭が催され、そこでマジックを演じることになったからです。8号の表紙は「コーンとボール」、冊子の特集も高木さん解説の「新・コーンとボール」です。「コーンとボール」は自分が30才頃までは学生の発表会の定番演目でしたが、その後消えてしまい…残念に思っています。

また、38号には氣賀康夫さんの「欧米奇術界 見聞記」の三回目が掲載されているので、読み返しました。第一章がスライディニ、第二章がダイ バーノンです。スライディニの素晴らしさは常々氣賀さんが云われていて、その原点がここに書かれた体験なのでしょう。バーノンは氣賀さんの~ある質問に「いや、私は奇術を考え出しません。…(中略)…ただ古くからあるものを改良して、自分の手を作ったにすぎないのです。複雑さを取り除いて、手順を簡素化して、寄り道のない要領を得たものにしただけです」と。当時の米国奇術界の巨人との対面は、二十代の青年であった氣賀さんにとり、大きな収穫であったと推測します。

c0049409_9205456.jpgただ、氣賀康夫さんのマジック作品の考え方は、上文に転記したバーノンの言とは、前半は同じですが、後半が異なると感じています。その部分を勝手に書かせて頂ければ、「不自然さを取り除いて、手順に合理性を持たせ、且つ単調な繰り返しを排除しただけです」となるのではないかと思います。秋の所属クラブの発表会の演目を氣賀さんに提供して頂き、そのプレッシャーが地元で元気に育っている瓢箪の如くに肥大し続けています。 

c0049409_9374460.jpgc0049409_9354362.jpgc0049409_9332291.jpg
[PR]
by ishiken55 | 2016-07-30 09:41 | マジック エッセイ | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://ishiken55.exblog.jp/tb/25855553
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 「奇術研究51号」で一夜のビバーク 最新の「ハーフダラー六枚」に再... >>