第72代横綱<稀勢の里>誕生の日に『奇術大鑑』への思いを馳せる

大相撲の稀勢の里が初場所に優勝し、第72代の横綱に推挙されました。そして今日の午後、明治神宮で奉納の土俵入りが行われました。昨日近所のスーパーに買い物に行ったら、稀勢の里の顔が印刷されたサッポロ一番の「田子ノ浦部屋監修・醤油味と塩味のちゃんこラーメン」が置かれていたので、ついミーハー気分で買ってしまいました。故に今日は116円のこのカップ麺が昼食でした。

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優勝が決まった先週の土曜日からのテレビのニュースを見ていると、稀勢の里のご両親が時々写り、局アナの問いなどに答えているのを聞き…彼のお父さんは風貌もそうですが、なかなか味のある方に感じます。稀勢の里は出生が兵庫県芦屋だそうですから、東京から50キロ離れた茨城県の龍ヶ崎や牛久に移り住むことになったのには、それなりの事情があったのだとは思います。


昨年末に所属するマジッククラブ(TAMC)の方から、昭和27年発行の宮入清四郎編『奇術大鑑』をお借りしました。そこに書かれていたのは、昭和26年ごろの40名程のTAMC全会員の肩書付のお名前、その内の30名については、マジックに関わった経歴と愛好の奇術一品を紹介する文が掲載されています。興味を覚えたので、返却をする前に、ネット古書店で同じ本を検索し、現品を手に入れました。

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この本の150ページに戦前から会員であった青木東正氏の記事があります。「山手線池袋駅から東上線に乗換えて成増駅で下車、そこから歩いて五,六分の郊外に青木メタル工場がある。」と書かれ、その会社の専務さんが当時36歳の青木東正氏でした。駅を芯にして工場と180度反対側に青木さんのご自宅があり、この本が出版された当時、隣に私の家があった事が4年前に判りました。


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その家に住んでいたのは、私が24歳位の時につき記憶が無く、父が早世し、母は昔の事を語りませんでした。その事が判明したのは、5年前に母が他界し、一周忌の折に、二つ違いの兄に青木メタルと東正氏の事を話すと、兄は家の場所と東正氏のご子息(現会員)に遊んで貰ったのを覚えていました。その後、事情により幾つか転居。後年私は稀勢の里の“里”に移住し、今では完璧な茨城県民デス。


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by ishiken55 | 2017-01-27 17:39 | マジック エッセイ | Trackback | Comments(0)
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