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奇術「パン時計」の思い出と想い

「パン時計」というマジックがあったことを、正月のNHKマジック番組で、今は亡きアダチ龍光師が演じた昭和46年の「天覧奇術」回顧映像を観て、思い出しました。私もその時代の前後に、このマジックを舞台でたった3回ですが演じたことがありました。このマジックを演じたのはまだナイーブさが抜けていない二十〜二十五歳のときでした。

初めて演じたのは母校の文化祭の特設ステージでした。(昭和43年)
このときは、私の友人に誘われて後に漫談家となる牧田博師(この時点はまだジャズピアニスト)が花束を持って観に来てくれたことを懐かしく憶えています。牧田博師は私より一つ年上でしたが、漫談家としてデビュー後は、彼のステージを観に行ったり、街で飲んだり、正月に旅行に行ったりしました。十数年前にはNHKの音楽番組でジュディ・オングさんと司会のレギュラーを持たれていましたが。・・・今でも浅草で巧笑を振り撒いているのでしょう。(マジシャンも含めプロの芸人がその道で生きていくのは、なかなか大変な事なのでしょう)

奇術「パン時計」の思い出と想い_c0049409_22211274.jpg2回目は椿山荘での、あるパーティーのアトラクション出演でした。(昭和43年)
この時は、チャイナリングと併せて演じたのですが、時計を差し出してくれた方がパーティーのボス的な人で、その時計の大きさに苦労させられたことを記憶しています。演技のあとでパーティーの会食に参加させて貰い、その豪華なディナーは、まだ学生だった私には初めて味わうおとなの雰囲気の場でもありました。

3回目は、今は存在しない「赤坂公会堂」で開催された学生主催のマジック発表会のアシスト出演でした。(昭和48年)
この時きはたばこと併せて演じましたが、前回に懲り時計は後輩のN君に頼んで差し出し役になって貰い、3回の中では一番スピーディーに演ずることができたように記憶しています。このショーの出演者の中では私が一番年上で、若い学生の出演者との世代の違いを、ほろ苦く体感させられたときでもありましたが、世代を超えて同じステージに立てることの悦びもまたあったように思います。(その5年後まで学生達と同じステージに立つことになるのですが)

上記から30年以上が過ぎました。その後私は一度もこのマジックを演じていませんし、マジシャンの方が演じているのも観たこともありません。今後もこのマジックに接することがあるかどうかは全く分かりませんが、このマジックの唯一の道具「赤いボックス」は、今も家の押し入れの中で30年以上も眠り続けています。
by ishiken55 | 2005-02-22 22:32 | マジック エッセイ | Trackback | Comments(0)
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