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カテゴリ:マジック エッセイ( 151 )

「黄色いポスト」から

一昨日の木曜日(6/20)はマジッククラブの例会日。例会以外の用事が無ければ、午後3過ぎに家を出ればよいのですが、例会開始前にある人物と集会室前のロビーで会う約束(内容は後記)をしたため、1時間半前に出立。常磐線の地元JR駅前に到着すると、何やらいつもと違う“黄色いポスト”がニコニコ顔で出迎えてくれました。いやいや…黄色のポストを初めて見ました。脇に茨城国体のPR文が記載されているので、期間限定のように思われます。ただ…ポストは“赤いモノ”と認識していましたので、黄色のポストは法律に触れないのでしょうか? ネットで「黄色いポスト」を検索したら、全国に点在していることを知りました。

例会開始2時間前に集会場所に入ったのは…東洋大学4年生のI.IくんがTAMCの第二代会長を務めた“阿部徳蔵”を卒論のテーマに設定され、TAMCのホームページに阿部徳蔵についての教示を乞うメールを発信。ホームページ管理人のIT委員長から当方に対応を要請され、例会前に阿部徳蔵氏についての情報伝授をした次第です。こう云うのって、何処迄情報を開示すれば良いのか悩みます。ご本人が調査をし、対象人物について考察する余地を残しておくべきとも考えましたが、結構関連資料の提示をして差し上げました。時流に乗ってマジックをやるだけではなく、歴史や築いて来た先人について探索する気持ちは貴重だと思います。

そんなことから、阿部徳蔵氏の著書『とらんぷ』を再読してみました。この本には16世紀以降の“カード”の変遷が多くの図入りで掲載されています。また、後半部にはカード奇術の解説なども記載されています。ただ、それらの中に19世紀以降世界中で使われて来ている絵札(J.Q,K)のデザインが全く掲載されていない事に気付きました。U.Sプレーイング・カード社の代表的なカードの一つタリホーの図柄を下記に添付しますが、トランプと云えばこの図柄を思い浮かべます。何故に阿部徳蔵氏はこの図柄を本に掲載しなかったのでしょうか? 郵便ポストは赤いと決め付けていた自分には、その理由が…何となく…見えて来たような…。

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by ishiken55 | 2019-06-22 16:59 | マジック エッセイ | Trackback | Comments(0)

ハロルド・ロイドのカードマジック「You See ?」

ロイド眼鏡に燕尾服 泣いたら燕が笑うだろ 涙出た時ゃ空を見る
サンドイッチマン サンドイッチマン 俺らは街のお道化者
とぼけ笑顔で 今日も行く~ ♪


この曲は作詞/宮川哲夫 作曲/吉田正 歌/鶴田浩二 昭和28年(1953年)の作品。
子供の頃、ラジオでこの歌が流れていたので詞と旋律が頭に浸み込んでいます。

この曲の冒頭に出て来る“ロイド眼鏡”は、真円に近い丸型眼鏡で、米国の喜劇役者ハロルド・ロイド(Harold Lloyd 1893―1971)が使用していたことから付けられた名称と言われています。そのハロルド・ロイドがアマチュア・マジシャンであったことをマジック研究家のSNSで数日前に知りました。また、彼のカードマジック作品が、Hugard & Braue の共著『Expert Card Technique』に掲載されていることも分りました。

ロイドは撮影中の事故で右手の親指と人差指を無くし、義指となっていたそうで、そのような身体的状況でも演じられるように考えられた作品に感銘しました。
作品は『Expert Card Technique』の「One Hand Card Magic」項の180~182ページに掲載されていますので、手持ちにある方はご参照ください。なお私の本は第三版(1974年)のハードカバーですが、ペーパーバック版であれば現在でも千二百円程で購入出来ます。

作品の内容は、1組の“One way deck”を使用し、三人の客にカードを選んで貰いそれを当てるというもので、説明はここ迄に留めます(英訳が得意でないのをカモフラージュ?)。無声映画時代の喜劇役者はロイドの他にチャップリンとキートンが思い浮かびます。この三人を比べると、映画作品が後の世の人々に愛され続けているのは何と言ってもチャップリンの作品でしよう。私の一番好きなマジカルムービーは『街の灯』です!!
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by ishiken55 | 2019-04-22 16:00 | マジック エッセイ | Trackback | Comments(0)

女化神社の初詣&マジッククラブの新年会

あけまして おめでとうございます。
いよいよ平成の終わりが近づいて来ました。平成最後の年末を締め括くろうと、大晦日に平成30年の総括記事を書くつもりでおりましたが、何かと忙しく年を越してしまいました。その新年も早九日。遅れ馳せ乍ら、元旦の初詣と五日のマジッククラブの新年会について記しておきます。

元旦の初詣は地元の女化神社へ
昨年は喪中につき新年の行事はせず、静かな正月を過ごしましたが、喪が明けましたので、今日の元旦は朝5時に起き、刺身・なます・黒豆・小魚などを肴に八海山を一合半の徳利で少飲。久し振りの朝酒は格別の美味しさがありました。唯これは年一度にしないと健康や生活に支障を来すので、翌日からは夜飲みに戻しました。

その後時間を置いてお雑煮を食し、正月の朝の行事は終了。勤め人卒業の身でも、やらねばならない業務が山程あったのですが、元旦だけはそれらを脇に追いやり完全なる遊び人。ただ…ゴロゴロしていては体が鈍ってしまうので、午後は早々に車(と言っても自転車ですが飲酒運転~?)で地元の女化(おなばけ)神社へ初詣

阿部徳蔵の小説にも登場した女化は、私がこの地に都落ちした頃、閑静と言うより寂しげな地で、女化神社も初めて初詣に訪れた時は参拝に並ぶ事も無かったのに、今回は300mほどの行列が出来ていて、順番が来る迄1時間待ちと推測。故に列に並ばずに、通路の横から参拝し三つ事を祈願。但し鈴は鳴らせず、賽銭もナシ
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五日はマジッククラブ(TAMC)の新年会
五日はマジッククラブ(TAMC)の新年会が、例年同様アルカディア市ヶ谷(私学会館)で行われました。進行も例年通りでしたが、何時もと違う事としては…今年から会長に蔵原克治氏が就任された事と、オークションでは故・坂本圭史氏の蔵書が数百冊廉価で出品されたり、故・山本純一氏のマジック道具が出品されたり、また会員からの出品も通常より多く、例年以上に盛り上がっていた事でした。

私がオークションでゲットしたマジック道具はマッキーさんが出されたチェンジングバックのみ。黒基調が気に入り、手が伸びたのですが、マジックに関わり始めて半世紀以上にもなるのに、この道具を一度も使ったことが無いことに気付きました。使い方を会員に聴くのは、やはり気が引けるので…地元のマジック仲間のタッキー・モーさんと新年の会合を持った折に、教示をして貰おうとの魂胆

新年会は正午に開会し午後3時に終了。当方飲酒の持続力?が劣るので、解散後は地元に真っ直ぐ帰還。ただ…酒好きの方々は、会館でのコーヒータイムを挿み、5時から二次会~三次会へと繰り出すのが通例のようです。後で聞いたところでは、今年は八人程の方が5次会!まで行かれたそうです。前会長の氣賀康夫氏も最後までお付合いされたようで、ハイレベルの奇術研究家はタフが必須のようです。
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by ishiken55 | 2019-01-09 16:23 | マジック エッセイ | Trackback | Comments(0)

マジック愛好家・大ベテラン宅の訪問録

もう二週間以上前になりますが、我孫子にお住いのベテランのマジック愛好家である村越邦雄氏のお宅を初訪問させて頂きました。今春TAMCの研究委員会で作成した冊子「高木重朗氏の業績研究」を、お求め頂いたのを機に、電話で何度か話をさせて貰うと共に、奇術に関する古い情報を手紙でお知らせ下さったりした方です。村越さんは、私より年齢もマジック経験も十年近く先輩であり、高木重朗氏とは、MMC・TCC・連盟(JMA)などを通して深いお付合いを持たれていたそうで、高木氏がご存命の時はTAMCの発表会によく来場されていたご様子。

村越さんからは「お互いの家が近いようなので、是非お寄りください」と云われていたので、10月7日に開催するTAMCのマジック発表会のチケットをお渡しするのと、今クラブ内で探しているマジック関係の冊子をお貸し頂くのが、訪問の主目的でありました。二つの目的を済ませた後、色々とマジック関連の談議を二時間以上に渡りさせて頂きました。このおうちの記事を読まれたことがお有りなのか…四つ玉とファンカードの書籍と道具をご準備して下さっていて、初対面にも関わらず、その資料の幾つかを提供までして頂き、感謝感激でした。

話が一巡したところで、「蔵書をお見せ頂きたいです」と申し出ると、快く奇術書を保管されている部屋に案内して下さった。10畳程の部屋の四つの壁の床から天井近くに掛け、隙間なく、びっしりと、そしてきちんと書棚に縦に並べられた奇術書が収納されているのを拝見。奇術界報などの冊子類を含めると~1万冊近くあるのではと思われる程。貴重な奇術書庫に加わったのが…かの一冊なのだと思うと、誇らしい思いもしました。村越さんは、昭和30年代に早くも「鳩出し」に取組まれ、初代引田天功師の初期の道具造りに関わったそうです。

※写真は上から…
① 引田天功師と村越邦雄氏のツーショット ② 頂戴したファンカード
③ 高木重朗氏業績研究に含めていない訳本(ユニコン発行。出版年不詳)

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by ishiken55 | 2018-09-24 14:50 | マジック エッセイ | Trackback | Comments(0)

『第8回 奇術を語る会』にて

11月20日の月曜日に『第8回 奇術を語る会』が横浜中華街の「翡翠楼」で開催されました。参加メンバーはYMGの会員とTAMCの会員が三名ずつ集まって、中国料理とお酒を友にマジックを語るブライベートな懇親会です。この会の幹事はYMG所属でマジック・ネットワーク・セブン(MN7)の代表をされている中村安夫氏です。今回のメンバーは、前回参加のお一人が体調不良のため少しだけ若い方に替わりましたので、平均年齢が2才程若くなりました。それでも平均年齢は70才越、しかし皆研究心も好奇心も旺盛な奇術研究家の面々なのです。

この会の中心メンバーは、奇術界の重鎮のお一人氣賀康夫氏。今回も『蘇武牧羊』の新グッズやこの作品をアルファベット化したアイディア等々を披露してくださいました。中村氏はご専門の特許絡みの情報や全国のマジッククラブの出版物の調査について語って頂きました。そして都営の某公園で大道芸を数年経験されたKさん(名門の家柄につきイニシャル表示)からは、その経験談を語って頂きました。当方は所属クラブ内で進めている研究書がありますが、未だ公表出来る段階にはないため、今回は紹興酒を口に運びつつ…情報をお聴きするに終始しました。

今回の“奇術を語る会”で、氣賀氏から、16年前のTAMC試演大会の「おみやげマジック」を頂戴しまいた。私がTAMCに入会したのは十年前ですから、このマジックグッズは見たことがありませんでした。作品名は『十二支当て』考案・デザイン・解説…は氣賀康夫氏です。品位があってこんな素晴らしいおみやげマジックが過去に存在していたことに驚きました。毎回宴席の終わりに記念写真を撮っています。この“おうち”開設以来、自分(いしけん)の顔を伏せて来たのですが、古希前年の今年それが崩れつつあり、今回の写真を小アップ~。
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by ishiken55 | 2017-11-26 17:20 | マジック エッセイ | Trackback | Comments(0)

阿部隆彦さんのこと。

以下は1ヶ月前の出来事ですが、以前から取上げたいと思っていた方なのです。

マジッククラブ(TAMC)の例会が終了し、集会室から出た所で阿部隆彦さんから声を掛けられた。「渡そうと思い持って来た本があるのだけど、例会時に顔が確認できなったので…」と言われ、手渡された本は『愛の法律クイズ』。前回の例会の折に高木重朗氏の著書の中で一番小形本の鶴書房から発行された『カード奇術』を持参したところ、後ろに座られていた阿部さんが、「その本のシリーズには私も一冊書いています」と言われた。そして裏表紙を見ると、シリーズ24冊の中に阿部さんの本が確認され、「次回持って来ます」と言われていた。今手元にある二冊の小本は、サイズが9×13センチで68ページ、1972年(昭和47年)版で価格は百円。中身は共に充実した内容につき、百円ショップで再販すれば売れるのでは(?)~と思った。シリーズの中にアダチ龍光著『マジック入門』が含まれていて、興味を抱く。

阿部隆彦さんは東大奇術愛好会の元祖だそうで、それを知ったのはクラブに入会した十年程前の事。ただ、この方は半世紀前から存じ上げていた。それは1960年(昭和35年)発行の「奇術研究20号」に『法廷闘争』という奇術劇を阿部眞理也なるペンネームで寄稿されていたからだ。この脚本を基に学生時代の1968年(昭和42年)に文化祭で上演しようとしたことがあり、プログラムにも掲載しながら、直前に人員不足で断念したのを今でも鮮明に憶えている。尚、阿部さんはパズル系の本も出版されていて、その際は~より怪しげなペンネームを使われているのを最近知った。阿部さんは現役の弁護士さん。『愛の法律クイズ』は本業につき実名を使われたようだ。実は私…現在法律に絡む問題を抱えていて、来週霞が関ビル内の法律事務所に相談に行く。阿部さんにお願いするカードが1枚一瞬現れ~即刻バニッシュ~。
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by ishiken55 | 2017-07-23 17:03 | マジック エッセイ | Trackback | Comments(0)

発行47年目に捲るカード奇術大冊『マスターズ カード テーブル』

2月始めにKさんからお借りした『マスターズ カード テーブル』を返却する前日に、もう二度と手にすることは無いと思い、再度中身を捲ってみた。著者は伊藤正博氏、私と同世代の方で、学生時代にここまで大冊の書をまとめ上げた事に驚愕し、畏敬の念を抱かずにはおられなかった。中身は日本で出版された奇術図書や奇術雑誌に掲載されたカード奇術作品を集めたもので、洋書を直接翻訳した作品、ご自分のアイディアも所々に組み込まれている。そして文面が手書きであることも、その手間を思うと驚きである。

現在は著作権等が厳格に扱われるようになったので、個人用としての作成は自由であっても、半世紀前のこのような書籍を当世に出版する事は許されないだろうが…。この書籍の発行は昭和45年(1970年)9月15日。『はしがき』には、高木重朗氏、加藤英夫氏、濱谷堅蔵氏に、執筆にあたっての謝意が記されている。高木氏は26年前に他界されたが、加藤氏と濱谷氏は今も奇術に関わっておられる。カードマニュプレーションの演技者としても非凡であった伊藤正博氏、現在マジックに携わっておられないそうで残念に思う。

因みに「マスターズ カード テーブル」は350作品728ページ。
  最初の作品は氣賀康夫氏「頭の働らき」~最後の350作品は「ニコラシステム」

《「武蔵工大マジックサークル」の創設者₋濱谷堅蔵氏からコメントを頂く》
「マスターズ カードテーブルの初版は、上下2巻セットの限定版(茶色のハードカバー)で、武蔵工大マジックサークルの部員や友人たちに実費で配布した。ジアゾ式の湿式コピー機を使って1ページずつコピーしたものを製本屋に持ち込み、製本してもらった大変貴重なもの。その後、加藤英夫さんが主宰する「カトーマジックスタジオ」で1巻にまとめ(黒色のハードカバー)、限定出版の形でマニアの方を対象に販売された。(濱谷氏からの貴重な写真を転用)
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by ishiken55 | 2017-04-09 10:31 | マジック エッセイ | Trackback | Comments(0)

「松旭斎天勝展」の見学と「カードマジッククラブ」の解散-Wメモ

木曜日(3/16)に国立演芸場の演芸資料展示室で公開されている「松旭斎天勝展」を見て来ました。東京に出た折に見に行こうと思いつつ…最終日が近づいて来ていたので、東京のマジッククラブ(TAMC)の例会の前に寄り道をして来た次第です。展示の内容は、河合勝氏のコレクションと国立劇場所蔵の現品が中心で、以前に見たことのある展示品も多かったですが、初めて見る資料もあり目を引きました。現品ではありませんが中に入って直ぐの所に、大きく引き伸ばして展示されていた小樽ともう一つの繁華街の写真も良かったです。

新年会で、“松旭斎天一・天二・天勝”の生涯を描いた松丸賀世子氏著『奇術師誕生』を入手し、読んだ事も展示を見たい思いに繋がりました。自分が天勝の写真で一番好きな“寝ころんだサロメ”の現品展示がなかったのは残念でしたが…。国立演芸場に着いた直後にブザーが鳴り、中入り後の演芸が始まる時間でした。出演者は4名で大トリは三遊亭圓游師匠、その一つ前は北見伸&ステファニー。「もう少し早く来ていれば北見伸さんの奇術が見られたんだ」と想念。「65才以上は千三百円とは~? 次回は演芸を見に来ようっと~!」。
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そして翌金曜日(3/17)の朝、地元の「カードマジッククラブ」の例会へと向かいました。この日がクラブの解散日、最後の例会でした。8年前に私が市に提案し、6月~8月に掛けて開催した5回の『初歩のカードマジック講座』の終了後の9月に、講座に参加された有志の方々により発足したシニア世代のクラブ。自分は専属講師として月一回の例会に出席し、3.11東日本大震災の1ヶ月後には、細やかながら生涯学習センターで「サロン発表会」を催したのが、クラブに取っては唯一の外部の人を対象にマジックを披露の場となりました。

その数ヶ月後、私は私的な事情でクラブに出席出来なくなり、会員の方達には申し訳なく思いつつ…クラブは無くなったものと思っていたところ、2年2ヶ月後に会員の方から電話があり、同じメンバーで活動を続けているので、可能なら又来て下さい!~と。それから3年半、再び例会に出席して来ました。クラブ発足時と発表会の折に会員募集をしましたが、その後6年募集は行いませんでした。施設を無料で使わせて貰うための要件は十名。それが確保出来なくなり、新会員募集の道もありましたが、クラブの中では私が一番若く(?)、これから先、新しい人と接して行くのは“シンドイ”との総意で、解散することになりました。

午前中の例会の後、JR駅近くの「華屋与兵衛」にて全員で昼食会。解散には一抹の寂しさはありましたが、8年近く(自分は2年以上の逃亡歴)月一回、カードマジックを楽しめたことに、皆さん満足されていたのが嬉しかったです。丁度生ビールの半額日だったので、昼間から二杯。最後に写真を撮って和やかにお別れしました。
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by ishiken55 | 2017-03-19 15:29 | マジック エッセイ | Trackback | Comments(0)

奇術雑誌を“恋い焦れる”ノ記

訳あって…粛々と昔の奇術雑誌を半年以上に渡り調べています。
 「奇術研究」「不思議」「パス」「ザ・マジック」「Genii」
前の4誌は日本の雑誌で、現在では全て廃刊となっていますが、
後の1誌は米国の雑誌であり、前4誌より早く創刊されたのに、
現在に於いても、現役バリバリの八十才越え月刊雑誌なのです。

米国には「Genii」誌以外にも夫々特徴を有する奇術系雑誌が幾つかあるようです。現在の日本には、マジック趣味人の誰もが自由に入手出来る奇術雑誌はありません。「ザ・マジック」誌が休刊になってから、彼此八年近くになります。“マジック誌”に食指を伸ばしてくれる奇特な出版社が現れるのを待つだけでは、解決しないように思え、しからば・・・(この先は通行止め)

過去の奇術雑誌を調べていて思うのは…「不思議」や初期の「ザ・マジック」は、ベーシック・アイテムと云えるマジック演目について、しかるべき人物が、実に詳しい解説をされていて、その価値の大きさを実感しています。「不思議」はその対象演目が一巡した辺りで休刊になった感があります。“良い雑誌”でも、奇術の解説が中心だと長続きしない気がしました。

奇術雑誌は、解説・歴史・情報・知識・展望・文芸・商品~等がバランス良く組み込まれているのがよいのではと思う。夢想は、やがて夢現(ゆめうつつ)~???

調査した「不思議」と「ザ・マジック」の各一冊を参考に掲載。
  この二冊の共通点は「トライアンフ」の解説がされていること。
  左はダロー師の作品です。その人が他界された報道あり~合掌!
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by ishiken55 | 2017-02-27 09:25 | マジック エッセイ | Trackback | Comments(0)

第72代横綱<稀勢の里>誕生の日に『奇術大鑑』への思いを馳せる

大相撲の稀勢の里が初場所に優勝し、第72代の横綱に推挙されました。そして今日の午後、明治神宮で奉納の土俵入りが行われました。昨日近所のスーパーに買い物に行ったら、稀勢の里の顔が印刷されたサッポロ一番の「田子ノ浦部屋監修・醤油味と塩味のちゃんこラーメン」が置かれていたので、ついミーハー気分で買ってしまいました。故に今日は116円のこのカップ麺が昼食でした。

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優勝が決まった先週の土曜日からのテレビのニュースを見ていると、稀勢の里のご両親が時々写り、局アナの問いなどに答えているのを聞き…彼のお父さんは風貌もそうですが、なかなか味のある方に感じます。稀勢の里は出生が兵庫県芦屋だそうですから、東京から50キロ離れた茨城県の龍ヶ崎や牛久に移り住むことになったのには、それなりの事情があったのだとは思います。


昨年末に所属するマジッククラブ(TAMC)の方から、昭和27年発行の宮入清四郎編『奇術大鑑』をお借りしました。そこに書かれていたのは、昭和26年ごろの40名程のTAMC全会員の肩書付のお名前、その内の30名については、マジックに関わった経歴と愛好の奇術一品を紹介する文が掲載されています。興味を覚えたので、返却をする前に、ネット古書店で同じ本を検索し、現品を手に入れました。

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この本の150ページに戦前から会員であった青木東正氏の記事があります。「山手線池袋駅から東上線に乗換えて成増駅で下車、そこから歩いて五,六分の郊外に青木メタル工場がある。」と書かれ、その会社の専務さんが当時36歳の青木東正氏でした。駅を芯にして工場と180度反対側に青木さんのご自宅があり、この本が出版された当時、隣に私の家があった事が4年前に判りました。


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その家に住んでいたのは、私が24歳位の時につき記憶が無く、父が早世し、母は昔の事を語りませんでした。その事が判明したのは、5年前に母が他界し、一周忌の折に、二つ違いの兄に青木メタルと東正氏の事を話すと、兄は家の場所と東正氏のご子息(現会員)に遊んで貰ったのを覚えていました。その後、事情により幾つか転居。後年私は稀勢の里の“里”に移住し、今では完璧な茨城県民デス。


by ishiken55 | 2017-01-27 17:39 | マジック エッセイ | Trackback | Comments(0)