<   2016年 07月 ( 3 )   > この月の画像一覧

『奇術研究38号』にて小休止

この二ヶ月ほど、昭和31年から23年間続いた季刊誌「奇術研究」の1号から順番に、高木重朗氏の寄稿を調査しています。野暮用が無い日に1冊か2冊のペースにつき、現在44号です。折角、古(いにしえ)の書「奇術研究」を繙くので、高木さんの記事だけではなく、全体に目を通しているため、遅々として進まないのは当然と云えます。高木さんの寄稿は、1号から40号までは一冊も途切れることが無く、また30号までは一冊に2つも3つも掲載されていました。そして38号は色々な意味で自分との関係深いので、暫し立ち止まって小休止。

「奇術研究38号」の発行は昭和40年(1965年)10月1日。自分の奇術(マジック)との出会いは前年の師走でしたが、実際にマジック活動に没頭するようになったのは、昭和40年10月の初旬からでした。何故かと云えば、10月末に母校で初めての文化祭が催され、そこでマジックを演じることになったからです。8号の表紙は「コーンとボール」、冊子の特集も高木さん解説の「新・コーンとボール」です。「コーンとボール」は自分が30才頃までは学生の発表会の定番演目でしたが、その後消えてしまい…残念に思っています。

また、38号には氣賀康夫さんの「欧米奇術界 見聞記」の三回目が掲載されているので、読み返しました。第一章がスライディニ、第二章がダイ バーノンです。スライディニの素晴らしさは常々氣賀さんが云われていて、その原点がここに書かれた体験なのでしょう。バーノンは氣賀さんの~ある質問に「いや、私は奇術を考え出しません。…(中略)…ただ古くからあるものを改良して、自分の手を作ったにすぎないのです。複雑さを取り除いて、手順を簡素化して、寄り道のない要領を得たものにしただけです」と。当時の米国奇術界の巨人との対面は、二十代の青年であった氣賀さんにとり、大きな収穫であったと推測します。

c0049409_9205456.jpgただ、氣賀康夫さんのマジック作品の考え方は、上文に転記したバーノンの言とは、前半は同じですが、後半が異なると感じています。その部分を勝手に書かせて頂ければ、「不自然さを取り除いて、手順に合理性を持たせ、且つ単調な繰り返しを排除しただけです」となるのではないかと思います。秋の所属クラブの発表会の演目を氣賀さんに提供して頂き、そのプレッシャーが地元で元気に育っている瓢箪の如くに肥大し続けています。 

c0049409_9374460.jpgc0049409_9354362.jpgc0049409_9332291.jpg
[PR]
by ishiken55 | 2016-07-30 09:41 | マジック エッセイ | Comments(0)

最新の「ハーフダラー六枚」に再生を託す思いとは……

結婚40年を記念して、奥様とご一緒に一ヶ月間アメリカ旅行をされて来られた東京のマッジククラブの仲間Tさんから、2016年製のハーフダラーを六枚お譲り頂いた。正確に云えば…一枚はお土産として頂戴し、後の五枚は格安で譲って頂いた。それにしても、「奥様と一ヶ月の海外旅行なんて…羨ましい~!」と思わぬこともないが、人は夫々好みの生活スタイル~大げさに言えば人生嗜好があり、その枠の中で如何に幸福感を感じられるかだと思っている。…などと書きつつ、やはり羨望の思いが文面に滲み出てしまっているのは否めない?かも~。

ハーフダラーは米国の50¢硬貨であり、ジョン・F・ケネディが表の肖像であることから、ケネディコインなどとも呼ばれている。現在は記念硬貨として特定の場所のみで販売されているそうで、2016年製の新品は美しいし、ケネディさんも輝きを放っていて…より凛々しく見える。また、ハーフダラーは日本のマジシャンに於いても、コインマジックに使用する定番のコインであり、銀が使われた年代の硬貨は高価な値となっているが、最新年の品も50¢硬貨でありながら日本の一番大きい硬貨と同額にてマジックショップ等で販売されている。

2016年のハーフダラー六枚を手にし、コインマジックに関しては、振り返ると十年以上殆ど進歩が無い我。コインマジックは、四十代の後半でマジックの再生を図るべく一念発起した時、カードやスライハンド系の演目とは異なり、再生する元テクが無く、一から勉強を始めた。そして約十年掛けて自分のコインマジックのレパートリーを記載した「コインマジックリスト」と実演時のメモ「コインマジックルーティン」を作成した。その最終更新日は 2004.09.30 と 2005.09.18 。この新硬貨にコインマジックとの疎遠解消を託してみたい思いが~!
c0049409_10511768.jpg

c0049409_1112097.jpgc0049409_1104911.jpg
[PR]
by ishiken55 | 2016-07-22 11:03 | マジック グッズ | Comments(0)

日本初のアマチュア マジシャンズ クラブ誕生迄の…《軌跡》

このブログ《ちいさいマジックのおうち》を始めてからの数年は、一応社会人としての礼儀はギリギリで保ちつつ、好き勝手な記事を書いておりました。しかし、その後東京のマジック クラブ(TAMC)に入会し、会員から言われた訳ではありませんが、徐々に品位を考えつつ…記事を書くようになりました。その分、当初よりご訪問頂いている方は、記事に面白味が無くなったと感じておられると思います。政治家等も、自由人の時の発言には魅力を感じたのに、政党の一員になった途端に、品行方正な面白味の無い常識事しか言わなくなるのは、世の常でありまして~。

さてさて、組織に入ったからには、中途半端でいるよりも、とことん関わってみようと思い、TAMC創立の経緯を二次元的に表してみました。大正10年に出逢った阿部徳蔵氏(アマチュア奇術研究家)と徳川義親氏(当時侯爵)を一つのグループとし、昭和5年に当初はプロ奇術師の松旭斎天洋氏を中心に発足した緒方知三郎氏と福士政一氏(共に医学教授)のもう一つのグループが、一同に会する昭和7年5月の徳川義親邸での集まりは、TAMC発足の Epochであったと考えます。そして、その場に石田天海師夫妻が同席され、この会との…その後の太いパイプが感じ取れます。

《東京アマチュア・マジシャンズ・クラブ(TAMC)誕生迄の軌跡~図表》
《昭和7年5月,徳川義親侯爵邸における集合写真(坂本圭史氏のご提供)》
  ~を下記に添付します。[図表中の文面は敬称略]

阿部徳蔵 / 徳川義親 グループ

緒方知三郎 / 福士政一 グループ

大正

十年

1921

・徳川義親義親侯爵の南方への壮行会に

 阿部徳蔵が招かれ、マジックを披露。

・以後徳川義親と阿部徳蔵の親交始まる。

・徳川義親の知人宅など数々の場所で、

阿部徳蔵が手広くマジックを披露。

・大正12,13,昭和5年に昭和天皇

に招かれてマジックを三度に渡り披露。

・大正1211月関西で震災孤児救済の
 チャリティ‐奇術公演を、5箇所で開催。

・大正135月に東京でアイヌ研究家の
 英国人救済チャリティ‐奇術公演を開催。

昭和

五年

1930

2月松旭斎天洋「天洋奇術研究所」を開設。

 (場所は京橋区新富町 新富ビル3階)

 研究員は福士政一,緒方知三郎,井上充等。

8月場所を三原橋詰榊原ビル4階へ移転。

昭和

六年

1931

1月に会名を「東京奇術倶楽部」に改称。

 会長は肝付兼英、松旭斎天洋は顧問。

 新たに広瀬渉、鈴木幹之助などが加入。

7月に会場を天洋師の私宅とするが・・・。

 その後清水ビルの一室を借り、会の名を

 「東京奇術研究会」として、天洋とは袂別。

・幹事制とし、会場は会員の私宅を持回り。

 新たに、柴田直光,坂本種芳,などが加入。

昭和

七年

1932

5月に徳川義親邸で帰朝されていた石田天海夫妻を招き、家族的試演会が開催される。

 ここには、阿部徳蔵および「東京奇術研究会」の熱心なアマチュア奇術研究家が集合し、

 阿部 / 徳川 グループと、緒方 / 福士 グループの結集の場となったと推測される。

11月に緒方知三郎博士が仕事で外遊をし、欧米のマジックサークルの実態を遍く視察。

昭和

八年

1933

・初秋の927日に、『東京 アマチュア マジシャンズ クラブ(TAMC)』が創立される。
 同日、四谷見附の三河屋で発会式が催され、松旭斎天洋師は来賓として招かれる。
・会長は福士政一、会員は20名程だったようで英国人のP.Eジョイスも含まれている。
・発足当時の集まり(例会)は、毎月第1と第3木曜日に会長宅で開かれていたもよう。
 木曜日であった理由は、会長の福士を始め、緒方、田宮、颯田が、医学会の重鎮で、
 木曜日の午後は通常手術日ではなく、比較的時間の制約がなかったためとか・・・。
 八十数年後の現在も、TAMCの例会日は変わっていない

c0049409_17565392.jpg

[PR]
by ishiken55 | 2016-07-10 17:58 | マジック エッセイ | Comments(4)